ヨーガに選ばれた二人

ヨーガに選ばれた二人

 ヨーガは「人から人へ」と伝わる。言葉によっては伝わらない。図解を見ても伝わらない。人から人へ、時間をかけ、丁寧に同じ動作を繰り返す中で、はじめて手渡されてゆく。
ところが、不思議なことに、ヨーガは「師範(指導者資格認定)」制度を作らなかった。まして家元制度などは作らなかった。ということは、誰が教えてもよいことになる。誰が教えてもよいのだが、実はヨーガ自身が人を選んでいるのである。
ヨーガは自分が必要とする人を自分から見つけ出す。そして自分が必要とする人にだけ姿を顕わす。必要としない人には自らを顕わさない。どんなに技が上手であってもヨーガから必要とされていない人には、ヨーガは顕れない。むろん技術は伝わる。理論も伝わる。しかし深い知恵は、ヨーガが働かない限り、伝わらない。そしてヨーガが姿を顕わさない限り、深い知恵が「人から人へ」と手渡されてゆく奇跡は起こらない。
新開春樹氏と新開桂氏のお二人はどうやらヨーガから呼び出されたようである。彼らがヨーガを求めたのではない。ヨーガの方が彼らを必要とした。ということは、この二人がヨーガを教えるのではない。ヨーガが、この二人を通して、自らを表現するということである。ヨーガがこの二人を選んだ。ヨーガが、この二人を通して、「人から人へ」と手渡されてゆくことを望んだのである。

西平 直

私が推薦します。

西平 直

京都大学大学院教育学研究科教授

主な著作
『エリクソンの人間学』『魂のライフサイクル』
『シュタイナー入門』『世阿弥の稽古哲学』
『無心のダイナミズム』『誕生のインファンティア』

「ヨーガ」と「微細なエネルギー」

西平 直

ヨーガは健康に良いという。ダイエットになるとも聞く。ヨーガ自身もそれを拒まない。ヨーガは自分がどう使われようと無頓着なのである。
そして実際、ヨーガは人の体を健康にする。関節を柔らかくし内臓をしなやかにする。それだけではない。ヨーガは心も健康にする。気持ちを落ち着かせ、心を休ませ、精神を浄化する。ヨーガは瞑想を大切にしているのである。
こうしてヨーガは「心」も「体」も健康にするというのだが、ここは注意が必要である。「心」と「体」をそれぞれ健康にするわけではないのである。重要なのはむしろ両者の「つながり」。ヨーガは身心の「つながり」を大切にする。そしてそのポイントを「呼吸」に見る。呼吸を調えることによって、心と体の「つながり」を調えようとする。
日本の伝統には「身心(しんしん)一如(いちにょ)」という言葉がある。ヨーガは「呼吸」を手掛かりとして、この「身心一如」の地平に私たちを導こうとするのである。「体」の健康ではない、「心」の健康でもない、「身心一如」の全体が最も生き生きすることを求めているのである。

ところが(ややこしいのだが)正確には「身心一如」というだけでは、まだ足りない。もし「身心一如」が「身と心の統一」と理解されるのであれば、ヨーガの目的は違う。ヨーガが本当にねらっているのは「心」などない地平である。「体」などない地平である。日本の言葉で言えば「無心」。同じく(実際にはこんな言葉はないとしても)「無-体」を求めていることになる。
ヨーガは、「自我」や「意識」と呼ばれる日常的な「心」の健康を最終目的とするわけではない。むしろ「心ならぬこころ(無心)」を求める。そして「こころ(無心)」を目指していると、結果的には、日常的な「心」が最も生き生きしてくることを、体験的に伝えるのである。同様にヨーガは、生理学的な肉体の健康を最終目的としているのではない。「体ならぬからだ(無体)」を求める。そして「からだ(無体)」を目指していると、結果的には、目に見える体が最も生き生きすることを体験的に伝えるのである。
道元禅師は「身心(しんじん)脱落(とつらく)」という言葉を使われた。身も心も脱落する。「脱落」は「囚われがなく自由自在になること」。(わかりにくければ)「忘れる」ということ。身を忘れ(無体)、心を忘れる(無心)。もちろん、消えてなくなるわけではない。身も心も忘れるほど生き生きと生きよというのである。
正確には、「身心脱落・脱落身心」。単なる繰り返しではない。身も心も一度、脱落し、その脱落した身と心で生きよ。脱落して終わりではない、「身ならぬ身」、「心ならぬ心」で生きよというのである。

さて、ここまで(厄介な)話にお付き合いいただいた後で、ふり返って見ると、実はヨーガの教えは、意外に理解しやすい。ヨーガは「エネルギー」というのである。「身ならぬ身」などといわずに「微細なエネルギー」という。「身心脱落」などといわずに「繊細なエネルギーの働き」という。時にはそれを「いのちのエネルギー」とも言い換える。ヨーガは「いのちのエネルギー」が身にも心にも豊かに満ち溢れることを願っているのである。
ヨーガは体(肉体)を鍛える。それは正確には「肉体」を鍛えるのではなく、「体」の内に現れた「いのちのエネルギー」を育(はぐく)んでいるのである。ヨーガは心を鍛える。それは「心」の内に現れた「いのちのエネルギー」を慈(いつく)むということなのである。
「いのちのエネルギー」が最も生き生きと輝くための知恵。その知恵をヨーガは数千年の長きにわたり蓄積し続けてきた。「いのちのエネルギー」をいただき、浄化し、それを宇宙にお返ししてゆく。やさしく、しなやかな技法(アート)なのである。

西平 直